Sponsored Link

躁的防衛

 精神的成長心には、自分が犯した間違いや問題点を見つめる作業が必要です。苦い経験を真摯に受け止めて、そこから学ぶことを通して人は成長します。
 人がさし出す鏡を叩き割ってばかりいては、こうした成長が起きません。そして、同じ過ちを幾度も繰り返すことになります。
 誰かから非難されたとき、「あんな成績の悪い人の言うことなんて」「酔った勢いで言ったことだから」「彼の気を引こうとして、適当なことを言っているだけ」だから、それは相手の問題、自分にはかかわりないと片付けてしまう躁的防衛。強気の姿勢で、バンバン反撃し、相手を閉口させてしまうこともあります。ですが、それは、問題に向き合うことを避けている幼稚な姿に他なりません。攻撃的になるのは、反省能力のなさの表れです。

Sponsored Link

また、躁的防衛では、自分が傷つけた相手や去って行った友人を蔑み、たいして役に立たなかった下らない人だなどと言いふらします。そうした悪口を聞かされる人は、「あれほど世話になっておきながら....。私のことも、後でこんな風に言うんだろうなぁ。」と、やりきれない心境にもなります。
これも、自分の非を認める痛みから自分を守る手段です。
 躁的防衛には、他者に優越していると思い込むことで、自分を守ろうとする傾向があります。実はその対象に深く依存しているにもかかわらず、相手を支配しているかのような錯覚をも持っています。したがって、他者に向ける眼差しは上から目線で、軽蔑的な発言や横柄な振る舞いは日常茶飯事です。
 弱い立場のものを好み、支配することで自己効力感を高めようとします。矢継ぎ早に要求を繰り出し、相手を都合よく使うことで、相手の上位に立っているような錯覚を持ちます。相手の存在に深く依存していることに気付きません。
 自分が、相手の上に立って当然と考えているように、相手もまた、下に位置して当たり前と考えているかといえば、決してそうではありません。相手は、自尊心の痛む関係性から距離を置こうとします。
 躁的防衛で自分を守っていると、人に去って行かれることが多いものです。すると、その対象は、失っても構わない価値の無いものと認識されます。喪失の痛手を免れるために。
スポンサーサイト
カテゴリ: 発達障害の周辺

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する