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自己愛性パーソナリティと依存

 人から評価されたい、認められたい、周囲から抜きんでる存在になりたい。自分の中に欠乏感があると、そうした欲求が生まれます。
 他者からの高評価は、身体の一部にスポットライトが当たったようなものです。手入れをした髪には自信があるけれど、シェイプアップが必要なお腹周りを見られたら、人は去って行くに違いない。そうした不安が潜んでいると、完璧な衣でカバーしなければなりません。自分は特別な、選ばれた存在である、そう言ってくれる誰か、そう感じさせてくれる誰かを、求めずにはいられません。
 
 家族や恋人、職場などの年若い未熟な人々の上に、君臨しようとします。離れられない状態なのをよいことに、見下したり、暴言を吐いたりの繰り返しです。それらは、自らの自尊心を補強する行為なのです。
 身近な人の、ちょっとした動作も見逃しません。手からペンがちょっと落ちた、それだけで叩ける場所を見つけたとばかりに難癖を付けます。相手が、この人の自尊心の乏しさに気付き、憐れみを持っていればスルーしますが、なぜ自分が打たれねばならないのかと悩んでしまえば、深刻なモラハラです。
 人を非難する癖には、依存性があります。報酬系が刺激され、自分の株が上がったような快感がもたらされるのです。そこで、相手が憎いわけでもないのに、ゲーム感覚で相手の弱点を見つけて攻撃してしまいます。
 そんなふうに、容赦なく他人を叩くけれども、自分自身は少しの批判も受け入れられません。当然、次々に友人達に去って行かれる結果になることでしょう。にもかかわらず、新しい出会いでも、非難と自慢の繰り返しです。
 人に嫌われることを恐れる一方で、好かれてると思い込むと、調子に乗って、相手を邪険に扱います。こうした、自己証明のための人間関係からは、愛情や友情は育ちません。

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他者に求めるものが多すぎるのでしょう。そのため、離れて行かれたときには、裏切られたように感じて、怒りや憎しみを生じやすくなります。相手からすると、寄りかかられすぎて、負担に感じていることでしょう。
 外では、受け入れられるよう、人の目に映る自分の姿ばかりを意識し、自分を繕い、身内には全能感を持って尊大に振舞う、自尊心の傷ついた臆病な人は、どれほど鞭打たれようと、変わらず愛情を注いでくれる母なる大地のような人を求めます。生身の他者ではなく、全てを受け入れ、包み込んでくれる神のような存在です。
 どこまで傷つけたら相手が離れてしまうのか、自己愛性パーソナリティの人は、その境界線を絶えず探っています。そして、一定以上大丈夫だと判断すると、相手から色々なものを搾取し始めます。相手を非難して快楽を得るのも、精神的搾取です。
 そうやって痛めつけながら、内心ではその相手に、これほど辛いんだと、助けを求めています。まだ足りない、もっと自分の役に立ってくれ、癒してくれ、と訴えているのです。相手の精神が限界に達してしまうまで、このいたぶりが続くことも少なくありません。
 唯一、この難を逃れる例外があるとすれば、それは、この傷ついた大きな子供のコントロール飲み込まれず、その生き辛さからこの人を救える存在かもしれません。実の母以上の愛情を注げる人に他なりません。相手の批判を拒絶しながらも、ちゃんと反論してくれる人、時には愛をもって叱ってくれる人を、求めているのかもしれません。
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