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いい人の憂鬱

 黙々と、人一倍頑張っているのに、評価されない。人から用事を押し付けられ、手いっぱいで、苦しんでいるのに、誰も助けてくれない。雑用係のように頼られるばかり。明るく振る舞い、忙しく仕事をこなしながら、心は悲鳴を上げ続けています。
 なぜ、このような事態が起きるのでしょうか? 誘われたり頼まれたりした時、深く考えず、条件反射のように引き受けてしまう癖はありませんか?
 周囲との調和を図るために、波風を立てないために、自分を押し殺し、我慢する傾向がある人は、相手によっては都合よく扱われてしまう可能性があるのです。
 笑顔でいなければ、みんなに受け入れてもらえないと思い、受け入れてもらいたいから、明るく振舞う。そうした傾向はありませんか? 

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成長期に周囲から無視されたり、批判ばかりされる環境で過ごすと、力で相手を言いなりにできないなら、好意を持たれるようにしようと、協調的、迎合的に振舞うようになります。それは、人と友好的になるためには良い手段ですから、概ね良い関係を築くことに成功したことでしょう。成功体験は、強化され、習い性になっていきます。
 ところが、こちらが友好的に差し伸べる手に荷物ばかりを持たせ、好意を返してこない一部の人たちが、いい人を悩ませます。いつも笑顔で歩み寄り、相手の良いところに注目し、批判的な目で見ないことで、多くの人たちと親しくなれたのに、何がいけないのか.....。
 いい人にとって、協調的であることも迎合的であることも、充分知らない人とスムーズに付き合うための戦略です。相手もそうと弁え、気遣いながら歩み寄ることで、少しずつ互いに理解を深めます。
 一方、よく知らない状態から、いきなり荷物ばかり持たせようとする人は、こちら側の気遣いの姿勢を本質と受け止めています。譲歩的な姿勢は、自分がない人と考え、軽んじます。まだ親しくないので、慎重に構え、自分を見せていないとは受け止めません。
 いい人は自信があっても謙遜したり、本音と違う建前を口にすることが習慣になっています。これは、額面通り受け取る人には、自信のない人と映り、軽く扱われる結果になります。多くの人たちと概ね友好的になれたその手段が、一方では、人を道具扱いする人物を引き寄せてしまったといえます。それに気付き、そうした相手にははっきりノーを言わなければ、いつまで待ってもこちらの苦しさには気付いてくれません。
 また、そのような人は、他者からノーを言われ慣れているので、こちらが気をもむほど、傷ついたり、深く受け止めすぎることもありません。
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