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断るのが苦手な人

 間際になって約束をドタキャンしたくなってしまう、こうした場合、そもそも、あまり気乗りのしない約束を、まだ先のことだからと気軽に考え、不本意に引き受けてしまっていた場合が多いものです。断るのが苦手な人にありがちな傾向です。
 不本意な約束や頼まれごとは、最初にすんなりと断っておくと、後からストレスを感じることはありません。ところが、断ることが苦手な人はイエスと言ってしまいます。
 断れない経験が多い人は、基本的に温厚で優しい人が多いものです。周囲の人たちとの関係性を、常に良好に保っておきたいと考える平和主義者でもあります。
 弱味を握られているなどの、断れない切実な理由があるわけではありません。スイッチを入れると電化製品が動くように、相手の依頼でイエスのスイッチが入ってしまうのです。ノーのスイッチがありません。そういう生き方が、習慣になっています。相手にとっては優しい人ですが、自分を犠牲にしていますから、自分をいじめる人といえます。

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自分を犠牲にする人の潜在意識には、嫌われることへの恐れがあるのかもしれません。子供のころ、仲間はずれにされた、苛められた、親からダメ出しばかりされて認められなかった、こうした成長期の記憶にまで、その原因は遡るかもしれません。だから、他者からの好意を獲得するために、相手にとって好ましい自分を演出し続けてきたのかもしれません。孤独に耐えるよりは、その方がずっと素晴らしいと....。
 人を傷つけるのは悪いことだというビリーブを持っていることも多いですが、あえて人を傷つける勇気がありません。喧嘩の仕方が解らないからこそ、喧嘩にならないように相手に譲歩し、気に入られる為に迎合する生き方が身に着いてしまっているのです。

 このように、いい人を演じ続けていると、抑圧され続けた自己が苦しみます。相手に怒りを感じさせまいとして、自分の中に怒りが溜まってきます。怒りは、自分を守ろうとする自我の、当然の反応です。
 相手が、断るのが苦手な人だからといって、誰もが都合よく雑用を押し付けてくる人ばかりではありません。相手のコストや感情に、当然のことながら配慮します。だからこそ、断るのが苦手な人も、概ね良好な対人関係を築けてきたのです。
 問題なのは、一部の人使いの荒い人や人を見下し、支配したがる人たちです。断るのが苦手な人は、この人たちにうまく対処できないばかりでなく、相手がなぜここまで強引なのか、理解もできません。友人づきあいだと思って引き受けたのに、相手は、ただ単に無賃労働者を求めていただけだと知って愕然とすることもあるでしょう。
 引き受けることが、自分と相手のためになるのか、少し冷静に考えてみましょう。その人は、こちらの掛けるコストや好意を、ありがたいことだと感じているでしょうか。親切を続けているうちに、当然のことと受け止めて、段々態度が横柄になったり、要求が激しくなったりしていませんか。だとしたら、引き受けることは、相手のためにはなりません。自分のためにもなりません。
 断ることで、あなたは負担を抱え込むこともなく、相手はあなたを自由に支配できるかのような幻想を抱かずに済みます。自他の境界線を踏み越えてくる人には、ここに境界があることを教えてあげる必要があります。そのためには、まず、自分が自分の境界を自覚することが大事です。
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カテゴリ: 認知と癒し

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