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図々しい人

 見返りを求めるのは愛じゃない、見返りを求めず人に与えるのが愛、等というフレーズがあります。おそらく、そうした言葉を口にする人は、与える人ではなく、「見返りを求めず、私に尽くしてほしい」と無償の奉仕を乞う人でしょう。
 人は、金銭や動労を、無条件に一方的に、誰かに与え続けることはできません。同等のお返しがなければ、与えている側の愛や友情は、不満と怒りに移ろっていきます。そして、ついには、この人にエネルギーを注いでも無駄だと、損切りするようになるでしょう。相手からの好意の照り返しを受けて初めて、もっとこの人に愛を注ぎたいという意欲が生まれるのです。

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世の中には、「もらうこと」が当然になってしまった人も、少なからずいます。相手の優しさを、「隙」や「弱さ」と受け止め、どんどん要求できると考えるのです。口先だけの感謝のことばで、他人を躍らせられると思っているかのようですが、長期的な人間関係が形成できません。
 一見、この人の周囲から、次々に人が去っていくように見えますが、実は、この人自身が、双方向の長く続く安定した関係を望んでいません。望んでいるのは、自分の要求に応えてくれる人、あるいは、自分を輝かせてくれる引き立て役だったりします。
 他人の時間や動力を使い、その相手を過小評価し、相手の人格をも自分を光らせるために利用していることに、自覚のない人も少なくないことでしょう。そういう人に限って、他人に、声高に無条件の愛を説きますが、人が自分の期待通りに動かなければ、怒りで相手を動かそうとします。それでも、動かなければ、次は自己憐憫の涙で。
 時間が経つにつれて、傍にいる人は、あまりにも自分しか見ておらず、傍にいる人をロボットのようにこき使う姿勢に嫌気がさして離れていきます。ロボットは、どれほど酷使しても疲労することはなく、心を痛めることもありませんが、人はそうではありません。傍にいる人を、人として大切に扱えないのが、この人の心の習性なのです。人生のどこかで、もらうことに慣れてしまったのかもしれません。
 なぜか、人間関係が続かない人は、ちゃんと相手を気遣えているかどうか、相手に自分と付き合う何らかのメリットを与えられているかどうかを、振り返ってみるといいかもしれません。
 誰かのやさしさに、どんどんつけ込んだり、拒まれると逆上したり、そこに何らかの言い分があるとしても、あつかましいにもほどがあります。
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