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許せない相手を許せるとき

 誰かに対する憎しみや、許せない感情が、何十年も心の奥底に燻ってしまうことがあります。そのような時は、許すことが自分の心の健康と幸せのためだなどと、誰かに正論を言われても、憤慨してしまうのが落ちでしょう。
 許せない思いを抱えているとき、心の傷が痛みを放っています。一方的に、長期間にわたって傷つけられたという理不尽さへの怒りも伴っているのです。
 加害者が、略奪者が、自分の行為の結果、幸福を手に入れ、ぬくぬくと暮らしているのに、自分は喪失の中にいるのでは、許せということ自体が、理不尽な話です。
 許せないときは、自分の受けた傷とその痛みに、焦点が当たっています。相手の立場を客観視しようとしても、見えてはいません。

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いずれ、時が過ぎ、自分の傷が風化した時、初めて、当時の相手の姿が、第三者の目のように見えてくることもあるでしょう。
 人は、自分の利益を得るため、そして自分を守るために他人を傷つけます。何の落ち度もなく、悪意もない新入社員、その若くて前途有能な姿が、加害者を苦しめたのかもしれません。早期に芽を摘んでおこうと、陰湿な攻撃を続けていたのかもしれません。あるいは、単に八つ当たりの憂さ晴らしだったのかもしれません。目先の利益ばかりを追って、部下を酷使していたのかもしれません。
 もっと友好的に関われば、幸福な果実が得られたのかもしれないのに。そんなふうにしか関われなかった、それがその人という人間なのです。生得的な性格傾向や、それに伴う不毛な経験も、過去にはあるのかもしれません。
 どのような理由があれ、自分に対して無害な対象を、攻撃対象として位置づけること自体、情けない状態といえるでしょう。とはいえ、その人に、ドアマットやサンドバックとして見られているなら、関わり続けることは危険です。このような仕打ちを受ける覚えはないといって怒るよりも、かわいそうな人だと感じながらも、黙って距離を置くことができると、憎しみには至りません。憎しみは、一方的に、虐げられ続けてきた証なのですから。
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カテゴリ: 認知と癒し

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