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怒りを肯定する

 「あんなずるい人に、うまく言いくるめられて、体よく利用されてしまった。たいせつな自分の人生の一期間を使って、支えてしまった。悔しい。」
 後からこみ上げるこうした怒りは、自尊心が正常に働いている証です。その悔しさがあるからこそ、同じ間違いを繰り返さずに済むのです。断るべき理不尽な要求を、断れるようになるのです。もう二度と、あんな状態に陥ってたまるかという気持ちで、相手の前に立てるのです。
 モラハラ被害者に甘んじている間は、そのようには考えません。都合よく扱われていることが辛くて、悶々とした葛藤の中で涙にくれていても、なお、「そんなに悪い人じゃない」と、相手を弁護している自分がいます。

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許さなくてはいけない、許せないのは心が貧しいからだと自分に言い聞かせ、相手にとって便利な存在で居続けようとします。もちろん、尽くし続ければ相手にとってかけがえのない存在になれるはずという期待もあります。
 そして、尽くせば尽くすほど、相手はそれを当然とみなし、一方的なアンバランスな関係に陥っていきます。人は、その相手に対して愛情がなければないほど、尽くされて当然、返さなくて当然と思うようになっていくのです。
 相手に愛情や誠意を感じられなければ、そのような対象に時間を捧げることに、人は次第に疑問を持つようになっていきます。相手にも、相手に尽くす自分自身にも憤りを覚えるようになっていくのです。
 相手を気遣ったり支えることが自然にできるのは、その相手への愛のなせる業です。人の役に立つのが素晴らしいことだからといって、その対象が誰でもいいわけではありません。愛を感じない相手に献身的に尽くしているとしたら、見返りを求めているはずです。周囲からの高い評価や、相手がいずれ返してくれるであろう自分への献身。そうした見返りを期待する限り、苛立っても親切を止められず、相手の不誠実を嘆き続けることになります。
 怒りを覚えるとき、それは自分の限度枠以上に、力を使い続けているのです。怒りを感じずにいられる地点まで後退してみる必要があると言えるでしょう
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