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アダルトチルドレンの渇望

 モラハラ被害者になりやすい人には、成長期に養育者等周囲から否定され続けたり、いじめに遭遇したり、愛情に飢えてきたという傾向があります。そのために自尊心が育たず、自分は誰からも愛されない、特別な人間だと思っています。そして、次第に自己主張することができなくなってしまいます。
 孤立する辛さ、孤独の寂しさを十二分に味わっていますので、丸ごと受け入れられ、何があっても愛してくれる存在を渇望しています。そのため、相手の顔いろを伺い、相手が気に入らないであろうと思われる発言はしません。
 また、支配的な親から、「はい」というまで、何度も同じ命令をされていると、面倒なので、抵抗もせず、言いなりになってしまう自動反応も身に着いてしまいます。
 誰からも愛されるような人にならなくてはいけないと、強迫的に考えています。他者と良い関わりを持てなかったからこそ、他者を求める思いが強く、嫌われたり拒絶されることに恐怖心があるのです。

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拒否的な人に出会うと、多くの人は、距離をとり、表面的な対応でかわそうとすることが多いかもしれません。ところが、拒絶を恐れる人は、相手を恐れ嫌いながらも、いっそう迎合的な態度で接し、自分に対する相手の評価を上げようと努力します。自分が嫌いな人からも、好かれたいのです。100%好かれるか嫌われるかといった感覚で、中間がありません。
 100%受け入れてくれる相手など、誰にとっても存在しないのかもしれませんが、疎外されてきた人は、そうは考えません。他の人たちはみんな仲良し、自分だけが蚊帳の外。これが世界観なのです。ですから、他の人たちが持っている、と信じているものを求めます。
 自然体でいられる人は、100%受け入れられること自体、あまり求めないことでしょう。必要ないからです。
 自分に我慢を強いて、誰かの役に立ち、その人が自分を幸せにしてくれることを期待していると、やがてその相手に腹を立て始めます。「あの人は私に尽くすべき。なぜなら、わたしはあの人に尽くしているのだから。」という論理です。
 他者に与える、他者の役に立つのが愛であり、それが自身の喜びになる、等といっても、それはあくまでも、自分の必要を先に満たしてからです。与えること、それ自体に喜びがないのなら、返るものを期待しての投資にすぎません。
 自分が犠牲にならない範囲で、誰かの役に立てればうれしく感じますが、苦しいほど与え続けるのは、相手の奴隷になっているようなものです。相手にそれを望むのは「奴隷になれ」と求めているといえます。
 与えすぎること、求めすぎることから、不満や怒りは生じてきます。
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