Sponsored Link

愛された記憶

 なんでも、もらって当然と思っている人がいます。何かしてもらって当然、お金や品物をもらって当然、頼みごとを断られても、あっさり引き下がらず、食い下がる。さらに、やってもらったことに、出来栄えが悪いとケチをつける。お返しなど、考えもしない。もらうことに慣れきってしまった世界の住人なのだろうと考えないと、理解できない類の人たちです。

 みんなと仲良くやりたい、誰とでも友達になりたい、嫌われるのが怖い。他者から好かれないことは、自分の人格に難があると言われているように感じる癖のある人は、上記のような相手との相性はよくありません。好かれたいがために従順になった結果、いいように扱われてしまう可能性が濃厚なのです。
 
 相手に見返りを求めず、無償の好意を与えましょう、等と道徳のテキストには書かれているかもしれません。ですが、それは、相手からの好意に、感謝できる人に限られます。与えれば与えるほど、もっとくれ、もっとくれと要求が増し、相手の拒否に逆ギレする人に与え続けても、感謝はされません。そればかりか、相手の依存性を増長させる結果になります。
 依存傾向の強い人は、他者に与えることができません。自分が一番大変なのだから、みんな、協力するべきだ、力になってくれるべきだと考えてしまいがちなのです。そして、力になってくれない人を、自己中心的だと非難します。
 では、立場が入れ替わったら、相手のために力を貸すのかと言えば、そうした人に限って、相手の困りごとには耳も貸しません。旅行に行くからとカンパを募りながら、土産の一つも買って帰らないというふうに。

Sponsored Link

相手に見返りを求め無い事は、理想的ではありますが、現実的ではありません。そもそも、一方的に与えないと維持できない関係など、友達とは言えないんじゃないでしょうか?見返りを求めない好意にこだわっていると、搾取されっぱなしになってしまいます。
 それでも、相手に押されてしまい、強く言えない人は、相手を失うことを恐れているのでしょう。何かあった時に、相手が力になってくれることを、期待しているのかもしれません。どうやら期待外れだと、その人が周囲の人たちにとる態度を見て感じとりながらも。
 
 もし、その人との縁が切れたとしても、実際には、何のデメリットもありません。むしろ、負担から解放された爽快感を感じるかもしれません。失ったら困ると、現時点で信じているとしても。
 こうした不利益をもたらす関係からの撤退には、過去の愛された記憶が役に立ちます。かつて、自分をたいせつにしてくれた、無条件にやさしさを注いでくれた人がいた。今はもう、返らぬ人になってしまったけれど。
 今の自分が、このように扱われ、みじめな思いに耐えているのは、あの人に対して申し訳ない、そう想う時、今たいせつに握りしめているものが、重いだけの石だと気付きます。いつも、愛された記憶を意識していることが、友人になれない人を寄せ付けないバリア―になってくれることでしょう。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する