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DVから逃げない女

 壁に叩きつけられ、階段から突き落とされ、首を絞められ、命の危機にさらされながらも、駆けつけた警察官に「転んだだけ」と告げて、夫をかばう女性。なおも暴力夫の傍に留まり続ける女性。
 「なぜ?」と、誰もが疑問を投げかけるでしょう。心配し、忠告する友人たちに、「人それぞれ、生き方がある。」と背を向け、友人を失っても、夫を選ぶのはなぜでしょうか。「親密な距離」の範囲外にいる第三者には、とうてい理解できません。
 住居を失うことになっても、定職に付いていなくとも、サポートしてくれる実家がなくとも、別れようと決意した女性は、果敢に行動するものです。理解しがたいのは、そこに至れない女性の、その理由です。

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人は、どのような不幸にも、いずれ慣れていきます。他の平穏な世界や、大事にされた記憶がなければ、男性とはそのようなものだと理解してしまう可能性もあります。
 暴力をふるう男性は、衝動を抑える力が弱く、被害を受ける相手への共感性も乏しく、これまで多くの人間関係の破たんを経験してきたことでしょう。そうしたうっ憤を、身近な弱者を征服することで、埋め合わせようとしがちです。
 そうした加害者の弱さと、その人生の悲惨さを、被害者は理解していることも多いものです。私が見捨てたら、この人には誰もいなくなってしまう。この人が犯罪者として裁かれるのは、かわいそう。そうした言葉を口にする被害者もいます。

 また、加害者は四六時中危険な状態なのではありません。攻撃性のスイッチが入っていない時には、優しい人であることも多いものです。人を愛することとはどういう事かを知らずにいる加害者にも、いくらかの優しさはあります。あるいは、鞭を振るった後には、相手を失わないために、飴を与えるすべを本能的に習得しているのかもしれません。
 他に、もっと自分をたいせつにしてくれる存在を持たない人にとっては、このようなパートナーも、自分を気遣ってくれる唯一の存在となっているともいえます。離れたいけれど離れられないと訴える被害者もいますが、留まることを自ら選択しているのです。ひとりぼっちで再出発する不安よりも、悲惨ではあるけれど慣れた日常にいる方が、まだしも安心なのかもしれません。
 未成年の子供がいる場合、健全に機能する家庭を提供できないという点で、妻もまた夫と同罪です。直接暴力を振るわれなくとも、DVを目の当たりにすることは、子供の健全な精神的成長を阻害します。
 
 四六時中暴力的な人間の傍にいると、人の危機管理能力が鈍ってしまうと考えられています。そのため、重大な破壊的暴力に遭遇するまで、「逃げなければ!」という防衛の原動力が湧きません。多くの女性が、命からがら逃げだすことになるのは、そのせいでしょうか。
 実は、このときが一番危険です。これまで自分のものだと思っていたパートナーが、支配に応じなくなった時、相手はもはや憎悪の対象でしかなくなります。女性一人の力では、逃げきれない場合もあります。その危険性が広く認知され、女性を守るシステムが整備される必要があります。
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テーマ: メンタルヘルス | ジャンル: 心と身体

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