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カルトリーダー

 宗教団体が多用するマインドコントロールは、まず賛美のシャワーから始まります。セミナーや勉強会に誘って、訪れた人を気味が悪いほど褒めたり、親し気に話しかけたり、関心を示します。薄っぺらなお世辞や、社交辞令的な関心なのですが、人は誰でも関心を抱かれたり理解を示されるとうれしいので、親近感を抱く人もいることでしょう。その一方で、相手の現状を否定し、「神とともに歩む正しい生き方」に引きずりこもうとします。

 カルトに心酔する心理は、片思いの恋愛感情に似ています。遠目に見る対象が、素晴らしい存在だと疑わない、あの心理です。その人の良くない評判を耳にしても、決して受け入れようとはしません。
相手が長所も欠点もあるただの人間だなどとは、露ほども考えないのです。
 相手が生身の人間であれば、交際が始まれば、いずれ幻想は破れます。ところが、実体のない神への幻想は、スクリーンの中の俳優へのあこがれ同様に、長く続くことも多々あります。宗教団体は、こうした個人の幻想を共有し、仮想現実を構築する力を持っています。団体内での人間関係の絆が強固になると、この仮想現実を声高に否定することは、難しくなっていくことでしょう。

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自らが神の化身であるとか、神がどういう存在であるか知っていると語る人は、たまにいます。空想虚言癖なのか、生粋の詐欺師なのか、いずれにしても偏った思考回路の持ち主だと思われます。自らが、神という架空の存在に依存しているのかもしれません。
 何をどう信じるかは個人の自由ですが、自らの頭の中の真実を、周囲にも真実として同化させようとするところに、問題が生じます。神が必ずいるという主張のもとに、信者から金を集め、多くの信者を自分の手足のように動かす権力を持ってしまうことが可能だからです。自らが出会ったこともない神を、必ずいるというフィクションを語り、糧を得ている以上、それは詐欺に他なりません。

 宗教観と、宗教団体は異なります。宗教団体に属するということは、金と無賃の労働を、カルトリーダーの収入として提供するということです。その金銭を、教祖が遊興費に使っていることを知っているでしょうか。

 目の前の、不足に満ちた現実から脱したいと願う時、わたしたちは、どこからか救いの手が差し伸べられやしないかと夢見るものです。ですが、差し伸べられたその手を掴んだ瞬間から、それはもう夢ではなく、新たな現実になります。それが自分に不利益をもたらす現実ならば、手放す選択肢もあります。一度、関わりを持った世界に、とらわれる必要はありません。
 
 神とは、言い換えるなら、幾多の喜びも悲しみも越えてきたあなたの心に宿る、生きとし生けるものへの憐れみ、良心のようなものかもしれません。そうした良心を持たぬ人に限って、他者を従順な子羊のように支配する道具として、宗教を職業としたがるのは、皮肉なことです。
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テーマ: スピリチュアル | ジャンル: 心と身体
カテゴリ: カルト

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